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しおじのブログ

渋谷のベンチャーで経営企画担当 → マニラで人事(みたいなこと)

なぜ国語は4技能化されないのだろうか?

 
英語教育は近年4技能化が叫ばれている。
 
4技能とは、
・ライティング
・リーディング
・スピーキング
・リスニング
のことで、ことさらインプット(リーディング)だけが要求されてきた学校英語教育の反省として近年言われている話だ。
 
TOEICがリーディングとリスニングだけで構成されていることから、
「TOEICのスコアは高いけど話せないよね」といったようなTOEIC批判?もあり、
この4技能化は流行ワードのようになっている。
 
 
 
今日は英語の話ではなく、この流れが国語に影響しないのはなぜかな?と思っているという話。
 
 
国語も英語も言語の勉強という意味では同じだ。
違いは国語はある程度話せるようになった段階で学校に行くが、英語は一から学ぶという点だと思う。
 
ただ、スピーキングやライティングなどアウトプットする能力が求められるのは日本語も英語も変わらない。
というか、アウトプットする回数的には日本語の方が多い。
 
 
ところが、日本語の4技能化など聞いたことがない。
 
 
僕はこの「日本語も4技能化」を推したいと思っている。理由は以下のとおりだ。
 
 
1:母国語できちんとアウトプットができれば、外国語のアウトプットにも好影響。
 
わかりやすい文章の書き方・話を聞いてもらうための話の流れといったようなことは言語に関係ない。
 
よって母国語で学んだことが外国語学習にも生きると考えている。
 
国語アウトプット系のトレーニングを増やせば当然英語のアウトプットにも好影響がある。
 
 
2:ビジネスライティング・スピーチなど、アウトプットが必要な場面は増えているものの、そのトレーニング機会は不十分
 
学校教育では、作文を書くといったようなアウトプットの機会は昔からある。
 
ただ、作文とアウトプットスキルは違う。
作文は単なる感想に過ぎないが、アウトプットは相手に伝えるもの。
この違いを認識して意識的に練習をしないとアウトプット力は高まらない。
 
意識的に自分の意見を持つ習慣を作り、自分で意見を言う機会を作らないとアウトプット能力が高まらないまま大人になってしまい、苦労することになる。
 
以前よりは増えているようだが、まだそのトレーニング機会は不十分に思える。
 
 
 
別に日本語が大事だから英語の教育なんて必要ない!って言ってるわけではない。
 
そういう二者択一的なことを言いたいのではなく、母国語だろうと外国語だろうと大人な言語話者になるために必要なトレーニングは同じだということです。
 
日本語の場合、母国語の文字が多いという特徴があって、なかなかアウトプットに時間を避けられないのかもしれないが、ぜひ取り組んでほしい分野です。
 
英語教育が変わる以上に国語教育も変わらないといけないんじゃない?
って思っている今日この頃です。