フィリピンでの生活を終えるにあたって
4年前にこんなことを書きました。
その後、2015年6月からずっと海外・フィリピンに駐在していたのですが、
海外駐在が終わり、日本に戻ってきましたので、今考えていることをまとめてみたいと思います。
まずはこの4年間大きな病気になったり・怪我をすることがなく過ごせたことは良かったです。
正確に言えば一度骨折したのですが、それは一時帰国中のものでした。また、犯罪にもあったので、実は無事とは言い難いのですが・・。
経験したり、考えたことは1年目にブログに書き残したことが多いと思うので、ことさら書くことがありません。もしそれを知りたい方がいらっしゃったら、この記事の上にある「海外駐在」タグをご覧ください。
フィリピンでの生活面についても、すでに書いている人が多いと思いますので、ここでは触れないことにしたいと思います。
今書き残しておきたいのは、駐在を終えるにあたって、自分のキャリアにおいてこの4年間をどう位置づけるべきかということです。
それを考えるにあたって思っていることをつらつらと書いていきたいと思います。
まず、この4年間ずっと日本に帰りたいと思っていました。
日本に帰りたいと思わなかった日は文字通り1日もありませんでした。
日本とフィリピンの間を何度も行き来しましたが、フィリピンから日本に行くときは嬉しく、日本からフィリピンに行くときは憂鬱で仕方がありませんでした。
また、日本から心ないことを言われることもありました。
たとえば、「フィリピンの女の子と楽しそうだね」みたいなものです。
そういったことが自分の性格を極めてディフェンシブなものに変えていったように感じます。
ある時から「自分の気持ちは一旦置いておき、期間を定めたプロフェッショナルとして振る舞う」と思うようになっていました。
自分の中では、業務委託やフリーランスのような気持ちで働くようになっていました。
しかしながら、得たものもあります。
期間を定めてコミットするということはこれまでの自分のキャリア上あまりなく、コミット力みたいなものはついたのではないかと思います。
また、一般的に日本から海外に駐在に出す場合、ポジションが上がることが普通です。
自分ができることが少なく、どうしても現地のスタッフに動いてもらわないといけないことが多いのも事実です。
そのため、マネジメント力がつけざるを得ない環境にあったかと思います。
少し横道にそれますが、自分のマネジメントのスタイルは「1:大きな方向性を作ること、2:今ある問題点を逃げずに解決していく」ということだと思います。
とくに2は大事な論点で、「以前のトップが解決してくれなかった問題に取り組んでくれている」と見てもらえたようで、そのことが信頼につながったのではないかと思っています。
本筋に戻ると、この経験を自分のキャリアにどう結びつけるのか悩んでいました。
しかし、最後の1-2ヶ月くらいで自分は何がしたかったのか、どういう仕事の仕方をしたら幸せなのかといったものがようやくクリアに見えてきたように感じます。
キーワードでいうとこういったところです。
・プロジェクト型 - 期限を切って、そこに向かって仕事をするほうが幸せ。定期的にやることが変わるほうが良い。
・プロダクト志向 - プロダクトをどう良くしていくか・収益性を改善していくかを考えるほうがよい。
そういうことに気がつけたのは良かったのではないかと思います。
これまで何でも屋さんみたいなところがあったので、自分が得意で向いていることをやりながらキャリアを積み上げていけそうな雰囲気を感じています。